田舎にいると、物々交換やお裾分けがよくあります。
「キュウリいっぱい採れたからどうぞ」、「大根漬けたから食べてみて」、「親戚からきしめん一杯送られてきて食べきれないから」・・・などと、もらい物にあずかると、もらった側はその場でまたは後日お返しをあげる、というやりとりが盛んに行われます。
お返しは要求していなくても返ってくることがほとんど。
お互いにないものを補ったり、分け与える習慣が残っている田舎のいいところでもあります。
私の母もこんな緊密な近所・親戚づきあいがあるので、見守ってもらっている安心感があります。
今日は母の友達から鱈をいただきました。
そのお友達の家は漁師ではないけれど、冬になると漁港で仕事を手伝っているというご主人が市場に出せない魚をたくさんもらってくるらしいのです。
今回私が帰省してからでも、魚のいただきものはこれで3回目ぐらいじゃないかな。
ヒラメの刺身も食べたし、カレイ、カワハギ、シマダイなんかもいただきました。
これが夏になると、野菜や果物に変わります。
ご近所では小さいながらも畑を作っている家が多いので、お互いの収穫具合を見ながら、ないものを補い合っているみたいです。
また、ウチの親戚に大規模に野菜や果物を作っている農家がいるのですが、夏場は市場に出せない野菜や果物のおこぼれがいっぱい回ってきます。
なのでその時期は、実家の物置にスイカやメロンがゴロゴロ横たわっています。
母は友達やご近所、親戚に、自分の畑で収穫した野菜や自作の漬け物、趣味の裁縫で作ったバッグやポーチなんかをあげているらしく、そのお返しが何かしらあるようです。
それから、不要になった家財や日用品なんかも、近所や親戚に声を掛けて欲しい人があるとあげたり。
祖母が他界したときは、洋服や着物、ベッドもご近所のおばちゃんたちが喜んでもらってくれたので、捨てる手間と費用が省けて助かりました。
この物々交換さながらの光景はこの田舎では普通で、田舎っていいよね、と思う点でもあります。
ですが、「もらったら返さないといけないでしょ~」、「日常的にこんなことがあると煩わしくないのかな~」と、都会の人は感じてしまうかも。田舎で育ったはずの私も、実家に滞在中はそう感じることがたびたび。
でも、田舎では物々交換やお裾分けは自然なことであり、それが人との関わりをスムーズにしているツールにもなっているのです。
田舎のこんな密接なつきあい方は、一人暮らしの母を持つ我が身としてはとてもありがたいこと。ご近所や友人との頻繁な行き来で、代わりに見守ってもらっている感じがします。
今夜はいただいた鱈でカキ鍋風にしてみました。